神奈川・茅ヶ崎の児童養護施設=癒しのための巣づくり

「鳥の歌」カタルーニャ民謡.

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20150323

 

El Cant dels Ocells                                                      

『鳥の歌』 (カタルーニャ民謡)

 

実はこれ クリスマス・キャロルだったんですね!
知らなかったな~!

曲自体はカザルスの演奏によって昔から知っていたし カタルーニャ民謡であることも知っていたし チェロで弾いたこともありました。しかしまさか これがクリスマスキャロルだったとは 今の今まで(2015.3)まったく知りませんでしたね~! 勉強不足ですね~!

古いクリスマス・キャロルもたくさんあるのに この親しみやすい曲がなぜ歌い継がれなかったのかは不思議ですが でもまあ カザルスが弾いたことにより 単なる地方民謡の域から飛翔し 平和の歌として世界的に認知度が高まったことにはなったわけですね。

ところで

我々は“スペイン”と一口に括って言いますが 実際にはものすごくたくさんの民族の集合体なんですね。言語も 多様なものが地方によってさまざま混在しています(日本で言う「方言」とは違う)。

そして 我々が“スペイン語”と言っているのは “カスティーリャ語”のことです。カスティーリャ語が公用語なので それを“スペイン語”としているわけです。

カタルーニャ群衆

カタルーニャは 現在はスペインの一部(自治州)ではありますが 民族的にも文化的にも言語的にも 元々“スペイン”ではありません。言語もカタルーニャ語(カターラ)が本来の言語です。

ヨーロッパの歴史はものすごく複雑でちょっとやそっと勉強しただけでは頭に入りませんが 要するに独立した君主国であったカタルーニャが 隣のカスティーリャと連合王国を成立させた(両家の結婚による。当時は対等であった)が その後 結局“スペイン”として併合されてしまったというわけです。

(その後 将軍フランコによる反乱(スペイン内戦)でカタルーニャは完全にカスティーリャに蹂躙された経緯もあり カタルーニャの人々には特に民族主義が根強く残っている。つい最近(2014年11月)も 非公式ながら独立を問う住民投票で8割超が独立賛成派だった)

 

(話は脇道に逸れます)

カタルーニャの主都はバルセロナ。ガウディのサグラダ・ファミリアはバルセロナ紹介の記事には必ずトップに写真が載りますし その他にもダリ ミロ ピカソなどの画家 歌手のホセ・カレーラス(昔 バーンスタインのウェストサイド・ストーリー録音の際 何度もダメ出しを食らって泣きそうになっているドキュメンタリィがあったっけ) そしてチェロのカザルス・・・と 著名人も少なくないです。中でも 今 世界的に最も知名度が高いのは サッカーのFCバルセロナでしょうかね。

たとえばそのFCバルセロナは 単なるサッカークラブではありません。カタルーニャにとっては“民族の誇り”なんです。

カンプノウ

興行的な理由から(?)リーガ・エスパニョーラに属してはいますが ファンは一様に「俺たちはスペイン人じゃない。カターラだ」と言うそうです。ですから レアル・マドリードへの対抗心 闘争心がすさまじい。マドリードは“スペイン”の首都であり レアルはその“カスティーリャ”の象徴でもありますからね(いや アトレチコ・マドリードが怒るな)。

バルサ対レアルの試合は「エル・クラシコ」と呼ばれ ファンはもちろん 選手にとっても特別な感情が沸き上がり 異常な盛り上がりを見せるのです。特別というのは ただ伝統の一戦という程度ではなく 歴史的 民族的に特別な対抗心を掻き立てるということです。
“カタルーニャ”対 “カスティーリャ”のライヴァル心は 民族闘争の健全化?とも言えるかもしれません。少なくとも 単なるスポーツの試合以上の意味を持っているわけですね。

 

ちなみに(話はどんどん逸れます)

同じくスペインに“バスク地方”というのがあって(ベレー帽で有名?) こちらも民族意識がものすごく高いんですね。ここの「ビルバオ」というサッカークラブもリーガ・エスパニョーラ所属ですが なんと “バスク人だけのチーム”であることを誇りにしている世界的に稀有なクラブです(最近は“親族にバスク人がいればよい”と規定が緩んだようですが)。

ビルバオ旗

また逆に
バスク人のプロ・サッカー選手もたくさんいますが たとえばシャビ・アロンソは “バスクの星”などと呼ばれていながら 実はビルバオにいたことはなく(若いころサンセバスチャンのレアル・ソシエダではプレイした) むしろイングランドのリヴァプールへ渡ってから世界的には脚光を浴びました。
その後 なんとレアル・マドリードへ移籍 2014シーズンまで中心選手としてプレイし (またまた何と!)バイエルン・ミュンヘンへ移籍した現在でも ピッチ上の”マエストロ”として益々輝きを増してます。もちろん“スペイン代表”でもありますね(バスクは”国”ではないので)。

 

(話は逸れたまんま)

ヨーロッパの選手は“代表選手”であることは特に名誉とは感じない人も多いようです。それどころか カタルーニャやバスク出身の選手は“スペイン代表”にはなりたくないと思っている選手さえいるはずです。スペインだけでなく 国の構成要素が複雑多岐にわたっており 多民族 多文化が当たり前で しかも長い対立 支配 抑圧の歴史の中では カタルーニャやバスクのように “民族”のアイデンティティこそが重要ですし 時に憎悪さえ抱いてもいますから “国の代表”と一括りにされることは不名誉でさえあるかもしれません(この辺は日本人である我々には理解が及ばない。いや 沖縄やアイヌの人たちはどうかな)。

さらにイングランドでも

あそこはサッカー発祥の地ですが 統一チームとしての“イングランド代表”を組むのは非常に難しいんです。
“国”と言っても スコット・ランド ウェールズ 北アイル・ランド それにイングランドと分かれており それぞれが協会を持ち それぞれがアイデンティティを主張していますから『イングランド代表なんかに組み込まれるのは嫌だ』と考えている人々も多数いるわけですね。

実際 ウェールズ出身のライアン・ギグスは デヴューからマンチェスター・ユナイテッド一筋できましたが それでも“イングランド代表”の方は辞退したことが何度かありました(もちろん長年“ウェールズ代表”ではあり続けた)。

2012年ロンドン・オリンピックでも イングランドが統一チーム編成の呼びかけをしましたが 結果は かろうじてイングランド+ウェールズだけの2カ国合同チームということになってしまいました。

“国の概念”というのは ことほど左様に 便宜上仕切られた国名はあるものの 民族的 宗教的 文化的 経済的 政治的・・・あらゆる側面で複雑に絡み合った(反目し合った)歴史を経ているので 興味深くはありますが 実はよくわかりませんねえ。

 

さて話を『鳥の歌』へ戻します。                                                

En veure despunntar
el major lluminar en la nit més ditxosa
els ocellets cantant
a festejarlo van amb sa veu melindorosa

こよなく幸せな夜 至上の光が
輝き染める様子を見て
鳥たちは歌いながら祝いに集う
甘やかな声をたずさえて
帝王ワシが風を切ってとんでゆく
抑揚よろしく歌いながら
鳥たちはつげる
「イエス様がお生まれだ」
「我らを罪から救いたまい喜びを与えたまうために」
(浜田滋郎訳)

カザルスホワイトハウス

パブロ・カザルス
(”パブロ=Pablo”は英語(スペイン語)。本名(カターラ)は”パウ=Pau”)

1971年 カザルス94歳の国連でのスピーチと演奏が世界配信されたことで有名になりましたね。
(上の写真は それより10年ほど前 ケネディ大統領に招かれたホワイト・ハウスでの一コマ)

カザルスの反骨精神に加え メランコリックなメロディを悲痛なまでに切々と歌い上げるチェロの演奏などから まさかこれがクリスマス祝歌だとは思いもよりませんでした。

カザルスにとって カタルーニャはフランコによって長く蹂躙された痛恨の祖国 哀惜の大地です。
カザルスの『鳥の歌』は 単に故郷の民謡を懐かしんで弾いたということではなく 悲しみ 怒り 失望 反骨 憧れ 願い そして希望・・・様々な思いの交錯する望郷のメロディだったのです。

フランス亡命からプエルトリコで亡くなるまで 祖国への叶わぬ思いを抱き続けたまま 遺骨となってようやく故郷のベンドレイに埋葬されました。無念だったでしょうね。

 

1936年のスペイン内戦~

結果 フランコ将軍率いる反乱軍がスペインを制圧 カタルーニャはその下に組み敷かれ フランコ病没の1975年までは独裁政権が続きます。カタルーニャからすれば40年の長きに亘り“他国の抑圧”が続いたのです。
それに対する抗議の意を如何にして表現するか。
詩人のロルカは内戦で命を落としています。ピカソはゲルニカで反戦を描いています。その他 『誰がために鐘は鳴る(ヘミングウェイ=小説)』 『カタロニア賛歌(ジョージオーウェル=ルポルタージュ)』 『崩れ落ちる兵士(ロバート・キャパ=写真)』などもスペイン内戦を題材としています。

特にキャパの報道写真は あまりに衝撃的です。崩れ落ちる兵士

カザルスも 音楽家として多少なりとも名声があったので 政治的な運動もしており フランコ独裁への抗議 反ファシズムを数々の行動で示しました。シュヴァイツァーと反核実験で共同声明を発したりもしていますね。そしてそれらの活動の一つが というよりその活動の象徴として『鳥の歌』があった。

(ただし スペイン内戦といっても 実は ヨーロッパ各国の思惑が絡んだものであり 要するにファシズム対共産主義の覇権争い 第2次世界大戦の前哨戦の様相を呈していたのであって 決して”民族抗争”というわけではなかった)

『鳥の歌』には歌詞があります(今回初めて知った)。いろいろな鳥たちが救い主の誕生を祝って歌うという。もちろんカタルーニャ語(カターラ)です。しかしフランコ独裁政権下では 政治的経済的 さらには文化的にも“スペイン化”が強要されましたから 当然 言語(カターラ)も公の使用を禁止されていたのです。ですから 当時の歌のほとんどがカターラ語 カスティーリャ語2重の歌詞を持っていたそうです。(上述のFCバルセロナの本拠地スタジアム=カンプ・ノウでは フランコ政権下 カターラ語が許された数少ない場所だったというのもバルサファンにとっては誇りの一つとなっています)

1944年 連合軍がノルマンディ上陸(「地上最大の作戦」って映画ありましたねえ。ハリウッド俳優陣豪華総出演の)などで戦況を盛り返し ドイツがフランスから撤退した頃から カザルスは演奏会の最後に決まって『鳥の歌』を弾くようになったようです。カザルスの武器はチェロですから その意味では 『鳥の歌』を弾くということが 歌詞を持たないとはいえ カザルスにとってのプロテストであり 恰好のプロパガンダだったと言えます。

独裁政権下のカタルーニャで カザルスの演奏が実際どれだけ聞かれていたか分かりませんが そこにカザルスのひた向きな思いがにじんでいるように感じられます。

『鳥の歌』は 単に美しい歌というのではなかったのです。

 

(主権を奪う 人権を蹂躙する 文化を破壊する こんなことは歴史上いくらでもあったわけです。実際 日本だってアイヌを制圧し言語も文化も奪ってしまった。琉球も同様。今は沖縄“県”と言っていますが 日本が“琉球王国”を侵略し 強制的に“日本化”したのです(もちろん そんな単純なものではないが)。さらに言えば 途上で崩壊しましたが 朝鮮 中国へと侵略戦争によって領土拡大を図った日本でもありましたから 他人のことは言えませんね。国内に限って言っても 明治政府は豊かな方言をないがしろにする標準語化政策を強行し 現在のような抑揚のない標準語を押し付けたわけです)

 

『鳥の歌』に関しては ↓ このサイトがすばらしい力作です。

http://themuse.exblog.jp/9918708

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