先日 32歳で亡くなった卒園生M。彼が好きだったのがジャズピアノの上原ひろみ。その彼女のコンサートを聴いてきました。
CDや雑誌 ポスターなど上原ひろみ関連の遺品がたくさんある中に この日のチケットが1枚残されていたのです。楽しみにしていただろうMの代わりに 追悼の意味を込めて六本木まで行ってきましたよ。

ステージ上には2台のグランドピアノだけが抱き合わせの形でセッティングされていて ポスターの通り 小曽根真と上原ひろみ二人でガンガン弾きまくるというコンサートでした。
Mの買った席は ステージから70~80メートルくらいの位置。やがて演奏が始まり 2台のピアノで二人がパワー溢れる演奏を展開する。その煌びやかな音の洪水を浴びながら 『あゝ Mがここにいたら さぞや幸せに包まれていたんだろうなあ』と こちらは別の感慨に浸っていました。
しかし考えようによっては Mはこの日を楽しみにしたまんま逝ってしまったのですから 彼自身は残念に思った瞬間はなかった。だからそれでよかったんだとも。そう ものは考えようですからね。

上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト feat.アンソニー・ジャクソン ...

ところで Mの好きな讃美歌は「慈しみ深き」だと聞いていました。
その歌詞にはこうあります。
「心の嘆きを 包まず述べて
などはわ降ろさぬ 負える重荷を」

Mは 生まれながらに脳性マヒという重荷を背負っていた。それを背負ってここまで歩いてきたんです。
18歳で茅ヶ崎ファームを出てからは 障害者向け職業訓練校を卒業し ある社会福祉法人の事務職へ就職できました。
しかし周囲は健常者ばかりの職場ですから Mは精一杯背伸びして頑張ったんだと思います。少し前には 入院するほどのウツに苦しんでもいた。
けれどつい最近は どうやら危機的状況からは脱したのか という兆候もありました。
上記上原ひろみのコンサートチケットを買ったり 新たに入居したグループホームで友人ができ その友人をケンタッキーフライドチキンへ連れてゆくことを楽しみにしていたり 車を車検に出したりもしていたからです(Mは 福祉車両 障碍者仕様の車を持っていた)
そして何より 警察の遺体安置所で会ったMが とても安らかな表情だった。
『今ようやく重荷を降ろして ホッと一息ついているんだな』
私には そんな風に見えました。

そうです これまで能力以上に頑張ってきたMを 今回 主が呼んだのでしょう。
「そろそろこちらへ来なさい 休ませてあげよう。背負った重荷を降ろして」

さて
Mの葬儀に際して 斎場で驚きの出来事がありました。

今述べたように Mの好きな讃美歌が「慈しみ深き」
私がアレンジしてコンピューターで製作している讃美歌集にもそれがあります。偶然にも Mの好きなちょっとジャズっぽいピアノ伴奏版です。
そこで私は Mが火葬の炉に入る直前にそれを聴かせたい と思いつきました。そしてそのことを 牧師さんにお願いしたのです。

さて その斎場で。
Mの遺体を囲んで 牧師の最後のお祈りが終わりました。
牧師が 「それでは吉見さん」と促します。
私は 持参していたスピーカーへiPhoneから讃美歌を流します。
"ちょっとジャズっぽいピアノ伴奏版"の「慈しみ深き」です。
石とコンクリート造りの広い大きな斎場の中に讃美歌が響く。
そして まるでその「いつくしみ深き」に導かれるかのように 係員が Mの遺体を乗せた台車を厳かに移動し始めます。
みな 静かにその後に続きます。
やがて炉の前へ。
係員がボタンを押し おもむろに炉の扉が開く。
Mが中へ納まる。
係員がボタンを押し 炉の扉が閉まりはじめる。
と! その閉まる扉の動きに合わせて
「... ア~メ~ン」 !!!

いや 「アーメン」に合わせて炉の扉が閉まってゆく!
アーメンと 扉の閉まる動きがピッタリシンクロ!
ジャストのタイミングだったのです!

牧師は お祈りを終えたので合図した。
私は讃美歌をスタートさせた。
係員も ただ淡々と自分の仕事をこなした。
何の打ち合わせもしていません!

控室に戻った牧師さんと二人で顔を見合わせ 「ビックリしましたね!」と。

生前 茅ヶ崎ファームでは何をするにもダメダメなMでしたが 亡くなった最後の最後に 自分の人生をキッチリ 見事に終ったってことですね。