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One for all, All for one

スポーツ 特集 | 豪州の地からW杯へ ラグビー女子15人制日本代表 ...

"One for all,  All for one"

このラグビー界の名言については あちこちで紹介されている。

「一人はみんなのために みんなは一人のために
「ラグビー精神は素晴らしい」という称賛の話だ。

“Unus pro omnibus, Omnes pro uno”

日本語でも ラテン語でも 簡潔な単語が韻を踏んできれいに配置されている。耳に心地よく目にも美しい。
チームワークや自己犠牲といったチームスポーツ精神のすばらしさを見事に表現しているので  当然 ラグビー以外の他のスポーツでも使われる。のみならず 真理を言い得ているとくれば 組織論やら経営論などでもさかんに引き合いに出される重宝な言葉だ。

ただしその一方 どういうわけか
「いや 誤解されているが 本当の意味は……」
といった解説もあちこちあるのがおもしろい。

曰く
「…みんなは 一人のために」ではなく
「…みんなは 一つの目的(勝利)のために」
これが本当のラグビー精神である というもの。
平尾誠二も 生前こう説いていたのだ。

平尾誠二がそう言ったんだったら それでいいだろうってことではある。

しかしこれは誤解ではないと思う。目的に向かってみんなが気持ちを一つに突き進むということなので わざわざ誤解と否定するほどのものではないのだ。

【驚く話】

そしてもう一つ。これはもっと知られていない驚く話。
このキャッチフレーズは 日本ラグビー独特のものらしいというもの。

One for all, All for one (英語)

Unus pro omnibus, Omnes pro uno (ラテン語)

Un pour tous, Tous pour un (フランス語)

ラグビー精神として端的に 誇らしく語られるこの名言が 意外にも日本ラグビー特有のものらしいということ。
元ワラビーズ/元神戸製鋼のイアン・ウィリアムスがこんな感想を述べている。
「日本でみんなが口にするこのおかしなフレーズには違和感を持った」と。
ラグビーは 精神もルールもすべてイングランドから来ていると思いきや 海外でこういう言い方はないらしいということを知って驚いた。
きっと 日本のラグビー関係者の誰かが いつかどこかでこの言葉に目に止め モットーとして掲げたのだろう。
いやそのセンス お見事。

【1594年】

いろいろ辿ってみると まず シェークスピアの物語詩 『ルークリース凌辱』の中に登場している。
"one for all, or all for one" の一節が。

この物語詩は シェークスピアがイングランド・サウザンプトン伯爵へ捧げたというものだが この言葉自体はシェークスピアのオリジナルではないようだ。サウサンプトン伯爵家では すでに16世紀末ごろまでには この言葉をモットーとしていたということであるから シェークスピアは それを踏まえてこのフレーズを書いたと考えられる。

サウザンプトン家のこの家訓が いつ頃からのものなのか 伯爵家独自のものなのか 他から導入したものなのかは現段階で不明。

【1618年】

Unus pro omnibus, omnes pro uno

30年戦争(ドイツ)の発端とも言われる「プラハ窓外放擲事件」において プロテスタント側の宣言した決起文にマンマ取り入れられている。

「彼らが我らに処置を断行しようとするゆえ 我々は以下のような合意形成に至った。すなわち 生命 肉体 名誉 繁栄の喪失をいとわず 一人は万人のために 万人は一人のためにとの気概をもって 確固と立ち上がった。我らは 誰にへつらうことなく すべての困難に対し できうる限り相互に助け守るものである」

檄文の最後に 「相互に助け守る」とあるので この Uno というのが「一人」を表していると解釈してもよいのだろう。
更に 「…との気概をもって…」と言っているので すでにこれが成句として世に知れていたということになる。

【1844年】

そしてこの言葉は 同時代を描いた小説『三銃士(ダルタニアン物語)』の中にも登場する。
ダルタニアンと三銃士が手を重ねて誓い合った際の言葉としてだ。

三銃士で有名なダルタニアンは実際どんな人物だったのか? - 草の実堂

三銃士の舞台は ちょうど17世紀 ブルボン朝ルイ13世の治世である。上記プラハ窓外放擲事件の際のプロテスタント側決起文にも盛られた(かの有名な?)言葉を ダルタニアンが自分らを鼓舞するために使ったということ。ただし『ダルタニアン物語』は長い小説なのに 作中で登場するのは なぜかこれ一度きりのようなのである。つまり特別もったいぶった使い方をしていない。
このことからしても ヨーロッパでは すでに巷でよく知られた標語だったのかもしれない。

 

ちなみに デュマの移葬の際 棺に掛けられた布に刺繍された言葉がこれだったという。

"un pour tous, tous pour un"

【1868年】

スイスの大洪水の際 この言葉をスローガンとして復興活動をしたと言う。「がんぼろうニッポン!」みたいな。
そしてそれがそのまま 国の標語となったとも。

【その他
ドイツでは「保険論」で説かれていたり 同じくドイツ最初の農協組織の標語にもなっていたり フランツリストの楽曲にもあったりと 広く流布していたことがわかってきた。

【そして日本でも!】

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「大一大万大吉」
だいいち だいまん だいきち

一人が万人のために 万人が一人の ためにつくせば 天下は吉となる。

あった!

なんと まったく同じ思考が日本にもあった。
石田三成の旗印として この言葉が使われていたのだった。

しかもこれは 三成のオリジナルではない。元は平安時代にまで遡るものだという。三浦一族・蘆名為景の子である石田為久が 乱暴狼藉を働いていた木曽義仲を討ち取った際に旗印として使用していたのだと。三成はこの故事を踏襲していたと考えられる。
(三成と石田為久に血のつながりはない)

そう 平安時代の日本にも まったく同じ思考があったのだ。というより こっちの方がよっぽど古いではないか。いやもしかすると 前述のサウザンプトン伯爵家の家訓も もっと相当に古いものだったかもしれないが。古代ギリシャとか中国とか。

とさらに探ってみれば なんと「古代ゲルマン人が語り伝えてきたもの」という説に行き当たったのだ。
フムフム。。。

とまあ要するに 誰か特定の偉人のありがたい御言葉というわけではなく 昔から 誰言うともなく語り継がれてきた 古い言い伝えということだ。

生きるための互助は 野生動物にも備わった本能だから これは合点がゆく。古来 人もみな ごく自然に助け合って生きてきた。それが産業革命という急激な社会変革が起きたことによって 組織化 制度化すべき必然性が醸成されたということだ。
それにしても 人間の思考力にせよ 情報の伝搬力にせよ すごいものだと感心すると同時に 古今 洋の東西を問わず 人は同じことを考えるものだなと。

【要するに】

ということで ここまで見てくると
"one ”  = "一人" = "成果"

一人のためにでも 良い結果のためにでも
大きな困難や挑戦に立ち向い一丸となって挑もうとする時の互助であるに変わりない。
どれも誤解ではく 気の持ちよう 考え方 言い方次第ということになる。

ヨーロッパ由来なのか 日本古来なのか いずれにせよ 日本ラグビー界においては このように謳われてきたということでよい。

"紳士として"
"みなが一丸となり"
"勝利のために" 戦う。

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