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讃美歌のアレンジ

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20150220

今回 「丘に立てる荒削りの十字架」をアレンジするに当たり いろいろ思うところがありました。

讃美歌の著作権は何のためか 誰のものか?

訳詩は 誰の権限で誰が訳し 誰が承認するのか?

「日本キリスト教団出版局」のWebサイトを今回はじめて閲覧しました。
それによると「讃美歌にも著作権がる」「金銭が発生しなくても(礼拝で配布するためのでも)コピーはダメ」「録音はダメ」などとなっています(『讃美歌』1954年版に限って?)。
「日本人による作詞作曲のもの」という但し書きがあるので 外国発の曲にはないのかとも思いますが じゃあ「訳詩」についてはどうなのか。原作者の許諾はどうなのか。
または 多くの黒人霊歌や民謡 クラシック音楽からの部分転用などについてはどうなっているんでしょうか。おそらく作者不明であれば著作権なし。作者のある場合は「没後50年間」などの適用があるのでしょう。

何にしても法的なことはよくわかりませんが そうは言っても 商売に使ってはいけない(利潤を得てはいけない) また原作者の尊厳も守るべきだということくらいはその通りだと思います。

しかし そもそも讃美歌は 信仰の支えや助けとなるものです。
そこに心をこめたり 教えられたり 励まされたり そしてそれを隣の人に伝えたり 互いに確認し合ったり。

”伝達”
牧師や神父が説教をするとき そこに著作”権”は生じませんね。なぜならそこから発せらる”ことば”は すべて神の”ことば” 主の”ことば”だからです。もしその説教を聞いた誰かが 他の誰かにそれを伝えても 牧師や神父は「それは私のことばだから勝手に使ってはいけません」とは言わないでしょう? 同じように 人が”賛美します” ”信仰します”と歌うとき そこに”権利”が生まれるのはしっくりきません。

”替え歌”
讃美歌の多くは替え歌です。古い民謡 労働歌 クラシック音楽・・・。「好きだから」「便利だから」讃美歌にしたんでしょうね。しかし”替え歌”なのに(出版したからと言って)著作権があるというのが納得できません。

”知的財産””労力”
音楽も詩も知的財産です。作曲にせよ作詞にせよ たとえ訳詩であってもそれなりの労力は使うはずです。宗教的な知識 文学的な教養 文化的な考察 哲学的な思考などなどを総動員して精魂込めて取り組むでしょう。しかし その労力は何のためか。誰のためか。こと讃美歌について 財産や労力を主張して報酬や権利が発生するのも変だと思います。

STAP細胞の作製過程で問題となった”コピペ”
デジタル技術とインターネットがこれだけ普及した現代社会にあって たとえ高度な専門的論文でも(公表されているものであれば)簡単にドラッグアンドドロップできてしまう。

キリスト教人口がどんどん減っている世界。収益を目的としない限り コピーも流布も制限する意味はないと思います。讃美歌が少しでも広まるなら何ら問題はないと思うのです。

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