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「丘に立てる荒削りの十字架」改訳

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20150226

「丘に立てる荒削りの十字架」改訳

讃美歌Ⅱ‐182/讃美歌21‐303/聖歌‐402/新聖歌‐108
(すべて同じ曲。題名と歌詞がそれぞれ違っている)


私家アレンジ・ヴァージョン

 ★原詞と日本語の対訳一覧
George Bennard原詞 吉見訳 新聖歌108
On a hill far away
stood an old rugged cross,
遥か丘の
粗野な十字架
丘に立てる
荒削りの
The emblem
of suff’ring and shame;
咎と恥のしるし 十字架にかかりて
And I love that old cross
where Dearest and Best
我は愛す
至高の十字架
救い主は
人のために
For a world of lost sinners
was slain.
人のため死せるを 捨てませり命を
So I’ll cherish
the old rugged cross
十字架は愛おし 十字架にイェス君
Till my trophies at last
I lay down
世の誉うち捨て 我をあがないたもう
I will cling to
the old rugged cross,
十字架にすがりて 十字架の悩みは
And exchange it someday
for a crown
贖いに換える日 我が罪のためなり
Oh, that old rugged cross,
so despised by the world
粗野な十字架
世の嘲り
世人
笑いあざけるとも
Has a wondrous attraction
for me
我が想いのすべて 十字架は慕わし
For the dear Lamb of God
left His groly above
神の仔羊
栄光の人の
子羊イェス
神の御子が
To bear it to dark Calvary カルバリィへ背負いし つけられし木なれば
In that old rugged cross,
stained with blood so divine,
血潮染みし
粗野な十字架
朱(あ)けに染みし
荒削りの
A wondrous beauty I see 麗しく 気高く 十字架は麗し
For ‘twas on that old cross
Jesus suffered and died,
イェスの忍び
その死をもて
赦し与え
きよくするは
To pardon and sanctify me. 赦し 清め給う ただ主の血あるのみ
To the old rugged cross
I will ever be true;
粗野な十字架
我は誓う
責めも恥も
辛くあらじ
Its shame and reproach
gladly bear;
恥も諌めも厭わじ 十字架に代りて
Then He’ll call me someday
to my home far away,
主に召されて
永久の栄え
たまの冠
受くるときを
Where His glory forever
I’ll share
我が終の棲家へ 日々待てる
わが身は

The old rugged cross.2

■■

原曲

これまでは音楽にのみ労力を注いできましたが
この曲に関しては たまたま原詞に当たってみようと思いつきました。

 

原曲はアメリカの歌で 讃美歌としては比較的新しいものですね(1913年)。

アメリカでは非常に人気の高い曲のようで さまざまな録音があり そして何故か そのほとんどがカントリーミュージックのスタイルなんです(もちろん黒人のゴスペルやブラスバンドものもありますが)。
日本で一般的な讃美歌のような厳かなものとは違い ごく素朴でリラックスした演奏が多いのも特徴でしょうか。

たとえばCDのジャケット写真なども テンガロンハットをかぶったカウボーイ風の人物だったり アメリカ西部の夕陽だったり そして演奏も フィドルを入れたり スチールギターを入れたり あるいはバンジョーだったりと 典型的なカントリーで演っています。
やっぱりアメリカ人(の白人)はカントリーがしっくりくるんでしょうね。日本人にとっての民謡って感じなんでしょうか。

 

the old rugged cross presleyそう プレスリィも歌っていますよ。もちろんカントリー調で。

プレスリィはロックンロール(”Heartbreak Hotel”)で大ブレイクして おまけにその際立って美しい顔立ち スレンダーな体とセクシィな身振り(腰振り!) それに甘い歌声でアイドル的人気爆発となりましたが 当時の”良識的”白人アメリカ人には”下品だ”ということで だいぶヒンシュクをかったようですから その辺はビートルズと同じですね。

でもそんなプレスリィも 元々は田舎の教会の聖歌隊員だったので讃美歌もたくさん歌っているんです。
ゴスペルですね。日本のクリスチャンでもプレスリィの讃美歌集を持っている人が結構います。一般的にはロックンローラーとかポップシンガーとかの印象が強いので 意外かもしれませんね。
それに出身地からしてカントリーミュージックはすっぽりハマります。ステージ衣装もそれ風なのが多いでしょ。
エッ? プレスリィ知らない!?

ハイ じゃあ次。

 

 

george lewisGeorge Lewisも演ってます。

こちらはディキシィランドジャズです。もうコテコテのニューオーリンズスタイル。Lewisが宗教的に演奏したかどうかはわかりません。しかしジャズ界ではレジェンドですし 本当の大御所ですから日本でも人気があった。

そうなんです。
昔は日本でもディキシィランドジャズって結構人気があったんですね。北村英治 藤家虹二 鈴木章治なんてクラリネットのバンドが食えてた(かどうかわかりませんが)時代もあったんです。
ま ですから日本のジャズ界でも ディキシィのスタンダードとして(宗教とは無縁に)この曲は存在しているんでしょうね)

 

 

 

■■

日本語訳

というような視野であらためて原詞を見てみると
やはりいろいろ思うところがありました。

アメリカ人は 讃美歌といえどもごくごく素朴な感情とともに 身近なものとして またストレイトな表現 文脈で語るんだろうなと。

そこで今回
できるだけ原詩の「言葉」と「並び」をそのままに訳し直してみたのがこの録音です。

 

ところで
英語の歌詞を「歌」として日本語訳するのはむずかしいんですね。

まず
● 日本語がリズミカルではなく抑揚に乏しいという点が最大の難点でしょうか。

英語(に限らないが)は 喋っているだけで歌っているように聞こえますよね。
「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」なんて これはフランス映画(ミュージカル)ですが “地のセリフ”というものがなく すべてのセリフにメロディがついている。
「♪こんにちは」「♪ええ そうね」なんてセリフにまで。そこにまったく違和感がない。
もちろんオペラもそうですね。

 

そして ”call and response”というスタイル。

The old rugged cross.4

元は恐らくブラックアフリカだと思いますが 主に黒人の礼拝などでよく見られます。

まず プリーチャー(牧師)が会衆に向かって何かを叫ぶ(歌うように)
すると それに呼応して会衆が叫び返す(合唱のように)というスタイルがありますね。
あれなんかは 牧師が煽り 会衆が反応し まさしく歌うように叫び 叫ぶように歌い やがて爆発的なウネリのように感情表現が頂点に達するという 鳥肌モンの礼拝です。

(ポップミュージックでは レイ・チャールズの”What I Say”が典型的。「ソウル」というカテゴリィが生まれる前 日本でも大ヒットしました。

その他 ブルース ゴスペル ドゥーワップ ジャズで多く取り入れられていますし キューバ ジャマイカなどの黒人音楽には多い。でも実は民族音楽を見渡すと世界各地にこのようなスタイルはあるんです。ついでに言うと サッカーの応援スタイルでもよく聞きますね)

 

その点 日本語で無理があると言えば
たとえば讃美歌の〈讃詠〉では 一つの文章を一つの全音符に乗せて 言葉を ”転がすように”歌います。
これはラテン語 イタリア語 スペイン語・・・など 言語的にもともとリズミカルであるからこそ生まれた祈りのスタイルなんでしょう。
それに対し 日本のお坊さんの読経は 一定のテンポキープでユニゾンで おまけに音程もほぼ変化しない。
木魚一つに 文字一つ。
≪ポクポクポクポクあーいーうーえー・・・≫

この辺は ”歌うように嘆き喜ぶ”民族と 一方 ”基本的に感情を抑えた表現”の民族との大きな違いだと思います。歌うように祈る〈讃詠〉は 慣れない日本人にしてみれば違和感が強いはずです。

 

昔のヴォードヴィルなどでは やはりイントロ部分ではペラペラペラっとした喋りで入り いつの間にかメロディに乗っけてゆく芸スタイルがよくありました。
(もちろん映画やレコードでしか知りませんが。そう The Beatlesでも”Rocky Raccoon”はそれを踏襲しています)
あるいは 歌の途中でメロディから離れて語りになり やがてまたメロディに戻るスタイルもよくありますね。つまり あの人たちにとっては お喋りも歌も境はないんでしょう。

 

さらに
● 日本語は何より文字数が多い。

というより
一つの音符に乗せられる文字が少ない
(1文字≒1音)
(既述したお経の例)

たとえば この曲の歌い出し:

“On a hillーfar awayーstood an oldーrugged cross
と 大きくは4つの拍(正確には12拍)に乗っています。


これが日本語の意味そのままなら:
「はるかとおくの おかのうえに たつ いっぽんの ふるい あらけずりの じゅうじか」

なんと! 単純に言えば30文字分の意味を4拍で表現しなければならないということです!

 

また

欧米の言語はそもそも直接的 即物的表現が多い。多民族 多文化が混在する中で意志を正確に伝えようとすれば当然そうならざるを得ないでしょう。

一方 “みんな同じ”日本人にはその必要がなかったので 奥ゆかしい態度 言い回し 文化が根付いた。
したがって日本語は曖昧を尊び また暗喩的であることが多いんですね。

市販の讃美歌集は何種類かあり それぞれ深みをもった表現となっています。しかし同時に文語であるがゆえ尚更 省略的かつ間接的な表現が多くなってもいます(それを深みというわけですが)。


そしてこの曲に関して言えば
讃美歌版において もちろん大きな意味でニュアンスは含まれているとはいえ 言葉としては省略されてしまっていて残念なものがいくつもありました。日本語としては立派であっても(原詞よりも!?) 逆にアメリカ人らしい率直な表現が削られているように感じました。

たとえばサビで繰り返される部分

“So I’ll cherish …”
「私は愛おしむ」と直接的に言っているのに対し 讃美歌版ではそれを避けています。

“Till my trophies at last I lay down”
「現世で受けた栄誉や褒美はいらないんだ」という意志表示が
“Till”  “at last”  “lay down”などを伴って この世での終焉をハッキリ意識しているように感じられます。

“I will cling to …”
「すがって生きてゆくんだ」という潔い意志と
“exchange it someday”
「そしていつの日にか・・・」と やがて来る希望を心待ちにする表現をしていますが 讃美歌版にそれはありません。

“He’ll call me someday”
“to my home”

“I’ll share”
「いつの日か 主が自分を呼ぶ」
「そしてそこは我が家であり」
「栄光に満ちた平安があり」
「主と分かち合うんだ」

などなど
英語ではとても素朴に純真に 清々しい気分を歌っています。

 

 

The old rugged cross

■■

というわけで
訳詞にあたってのコンセプトです。

 

 

 

☛英語は直接的表現が多い。言葉数を少なくするため文語体は踏襲しつつ 直接的表現も取り入れる。
☛原詩の言葉の並びをできるだけ維持する。
☛「十字架」が並んで繰り返されるよう配置する。


特に重視した“言葉”と=「意訳」の一覧(讃美歌版との相違)。

“rugged”

=「粗野な」・・・
(讃美歌版の「荒削りの」も捨てがたいが文字数が多い)

“far away”

=「遥か」・・・
“ここではないどこか遠く”という意味を入れたいと。
(讃美歌版では省略)

“the emblem”

=「しるし」・・・
英語では「十字架」を主体(受難の”象徴”)として歌っているのに対し
讃美歌版ではイェスを主体としている。
(讃美歌版では省略)

“suffering and shame”

=「咎と恥」・・・
(讃美歌版では省略。次の「人のために」へ集約?)

“I love”

=「愛す」・・・
讃美歌版では「慕わし」と控えめに表現されているが
“私は愛している”という直接的な意思を示したい。

“Dearest and Best”

=「至高の」・・・
(讃美歌版では省略)

“cherish”

=「愛おし」・・・
“愛おしむ”という直接的表現を入れた。
(讃美歌版では省略)

“my trophies”

=「世の誉」・・・
俗世で受けた勲章や褒美。
(讃美歌版では省略。「罪」に集約?)

“I lay down”

=「うち捨て」・・・
“(俗世で受けた勲章は)もういらない”
という意志を表現した。
(讃美歌版では省略)

“cling to”

=「すがりて」・・・
十字架に「すがる」「しがみつく」
というニュアンスが必要。
(讃美歌版では省略)

“exchange it someday for a crown”

=「贖いに換える日」・・・
“交換する”という意志と
“いつの日か”という希望を表現した。

“to bear it to…Calvary”

=「カルヴァリィへ背負いし」・・・
イェスが十字架を“自ら背負って歩いた”ことを表現した。
(讃美歌版では「つけられし木」と受け身で表現)

“suffered and died”

=「忍び」「死をもて」・・・
イェスが耐え忍び そして死んだという表現をした。

“To pardon and sanctify me”

=英語では “私を赦し清めるためにイェスは死んだ”
と直接的に歌っている。

“be true”

=「誓う」・・・
(讃美歌版では省略)

“gladly bear”

=「厭わじ」・・・
積極的な意思を。

“He call me”

=「召されて」・・・
(讃美歌版では省略)

“to my home far away”

=「我が終の棲家へ」・・・
“どこか遠くにある”という夢想。
“我が家”という一体感(+”I’ll share”)
ここだけ次の「永久の栄え」と並び順を替えた。

“I’ll share”

”最後には永遠の栄光を共にする(我が家)”
=「終の棲家」とした。

 

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