オンライン授業  始まってますね。ただし まだ学習塾先行ですね。商売ですからね。

私立高校でもすでに一部始まってますが 県立は今後もどうですか。公立の小中学校も同じく。お金の問題もあるでしょうが 決断力だと思います。実行力というか。9月入学もいつまで経っても進まない議論。

で ですね もしオンライン授業が一般化するなら クラス分けの概念も 学年の概念も とっぱらってしまった方が良いです。

生徒は自分に合った授業を選んで受ければいい。同い年でも同じ学年である必然性もない。15才だからって みんな高校1年生である意味はないでしょ。現に 大学生レヴェルの子もいれば 小学生レヴェルで足踏みしている子もいる。成長の度合い 発達の度合い 学力の度合いにあったカルキュラムに沿って進めばいいんですよ。

やる気があって できる子はどんどん先へ進む。1年かからない子もいるでしょう。飛び級ってやつが一般化するってことですよ。逆に 理解の遅い子は理解するまで学べるようにする。やる気のない子にも 一律の授業でなく 学ぶことの意味を説いたり関心を抱かせる内容を工夫する。

クラスも学年も 学校さえも固定する意味はないんだろうと思います。それからすると 地域格差もなくなるかもしれない。いつの話か忘れましたが オンライン授業が 広大なアメリカの田舎の生徒にとって 通学という悪条件がなくなって恩恵をこうむっているということを聞きました。
つまり北海道のへき地に住んでいても ハーバードで学べるかもしれないということですね。

しかしです。
モノゴトが何でもデジタルで済んでしまうということには 半面で 人間性がないがしろになってしまわないか という問題も孕んでいるんです。

生活のデジタル化は とりあえずポイントを絞った効率化へ向かいますよね。欲しいもの 必要なものだけに囲まれる生活です。メンドクサイのは嫌。欲しいものは今すぐに。人付き合いも単純に。その時楽しい人とだけつるむ。思想や趣味の合う範囲だけで済ませます。異質なものは排除。すべてインターネット上だけで つまりヴァーチャルだけで成立してしまう。

他人の心と向き合わないで済む。接点は点なので 線としては繋がらない。スイッチンの on  off ですよ。まあ もっと言えば 「0と1」の世界ですね。そういう生き方に疑問を持たない人間が出来上がるんです。オンラインで完結する授業なら 人間関係 ひいては親子関係さえも それで済ませてしまうかも知れない という危惧です。

AIの描いた絵が 4,900万円で落札されたのは2年前です。そう AIは今や 絵画だけでなく 小説も書けば音楽も作曲するんです。
昔 駅には駅員がいた なんてこと もはや大学生でも知らないのではないか。同じことは銀行でも郵便局でも起きる。窓口業務だけでなく 顧客への融資の査定もAIができるんですから。
今 レジのないコンビニが出現していますね。店員がいない。つまりコンビニにも人が要らないんですよ。

はたして ヒトはAIをコントロールできるんでしょうか。