20150728
“Ave Maria”
私家アレンジ
ヴォーカルヴァージョン
「カッチーニのアヴェマリア」とは 真っ赤なウソ!?
純なる素朴さと天上の美しさを持つこの曲ですが その背景には多々問題が。
(ということを 今回初めて知った)
「カッチーニのアヴェマリア」として有名になってしまったこの曲の作曲者が 実は”Vladimir Vavilov”という(世界的には無名の)ロシアの音楽家であったという 仰天奇天烈摩訶不思議のお話。
★大人気
「カッチーニのアヴェマリア」は 1990年ころから ロシア( ⇓ ) 東欧系の歌手に始まり
その後急速に世界へと広まりまった歌曲です。「カッチーニ」であり 「バロック」であるこの曲が20世紀末に突然脚光を浴びるようになった。今考えると それはそれでヘンだと思うべきですが 問題とは その作曲者に発していたのです。
メロディの美しさに加え 小品で取り上げやすいこともあってか 歌あり 器楽演奏あり オーケストラありと この20年あまりの短期間で無数の録音が出回っています。そしてそれらレコード(はもうなかったか) CDのクレジットやライナーノーツなどでは ほとんどすべて「カッチーニの・・・」となっていたはずです。しかし カッチーニ ~ バロックとされながら そのあまりにも甘美なメロディ メランコリックな伴奏について疑いを持つ人も中にはいたようで 『コレおかしいんじゃないか?』と調べ始めたということですね。
★そもそも この”Ave Maria”・・・
1970年 ≪Renaissance Lute Music≫ のタイトルで発売されたアルバム( ⇑ )に収められたものが 世界初出の録音だということです。
Vavilov自身のリュート演奏で そこには(ちゃんと?)「16世紀 作曲者不詳」と紹介されていたのです(いやいや ここからそもそもウソなわけですが!)。
★ウソ?の誕生!
ところが何故か 1974年 Irene Bogachyovaとの共演版( ⇓ )になると クレジットが ≪D.Caccini作≫ となっているではないか! これだ!
http://music-1000.blog.so-net.ne.jp/2012-08-17
(⇑ ブログ写真 勝手に拝借してしまいました。この方はご自分で注文して聞き比べなさっています。研究熱心な人はいるもんですね。ありがとうございます)
「作者不詳」から”D.Caccini”へ?
何故? 営業戦略上の操作? 何故かは今のところわかっていません。
わからないついでに
クレジットにある作曲者名 ”D.Caccini”?
こは誰そ?
有名なカッチーは Giulio Caccini
それが ”D.Caccini”?
エッ 誰それ? ってことですが それもわからない。単なる印刷ミスかもしれず 記憶違いかもしれず あるいは意図的にハズしたのかもしれず・・・(ウソはウソでも罪を軽く?)。
しかも! わからないついでにもう一つ。
このAve mariaの録音が1974年。Vavilovは1973年に亡くなっている!
ドユコト?
う~ん 謎にナゾが重なりますねえ。ソ連の出版 レコード業界も杜撰ですねえ。
この辺見ると ”Caccini”拝借も 批判や競争のない共産主義体制の中にあって 会社自体(プロデューサーふくめた全体)が独善的で罪の意識さえなかったのかも知れません。Vavilov個人の偽りだとしても 会社もそれを確認せず出版してしまう。
それからすると ”D.Caccini”も 特に他意はなく 単なる”G”の誤植か 記憶違い(ろくに調べもせず)の可能性は高いですね(もちろん意図的に”D”にハズした可能性も)。
とまあ いろいろと分からないことだらけながら 1974年発表のこのアルバムこそが 「カッチーニのアヴェマリア」誕生! の発端であったことに間違いなさそうです。
カッチーニが有名だったことと 何より(幸か?不幸か?)このメロティがあまりにも美しかった。美しかったがゆえ 誰かがそれを取り上げ みんなが飛びついた。”D”と”G”の違いは見ないことにして? いずれにせよこの辺 もし営業戦略だったなら見事にハマったということですね。
こうして 以降 「カッチーニのアヴェマリア」として世界的に人気を博すことになるという顛末(と言っても 残念ながら曲が売れ出したのは彼の死後ですが)。
★さて そのVavilov
Vladimir Fiodorovich Vavilov
ロシア人のリュート ギター奏者。国立楽譜出版社(旧ソヴィエト連邦)の校訂や古楽復興などで活動。演奏だけでなく 作曲も多数。しかし もともとこの人 何故か自作曲を古典音楽家の名を騙って?発表していたという妙な人です。最初はたとえば 教則本で知られたギタリストの名を拝借してみたり それに味をしめると?今度はルネサンスの音楽家の名を付してコンサートで演奏してみたり。そしてそれなりに良い評価も受けていたようなのです。
上記≪Renaissance Lute Music≫も イギリス民謡 イタリア民謡 フランス民謡 その他作曲者を明記したものなどが収録されているわけですが これがなんと ほとんどVavilov自身の作品だという!(知人の証言がある)
自分の作品を古典として発表してしまう。ほんとにどういう人だったんでしょう。
★ブランドイメージ
それにしても
少なくともカッチーニに関しては 生前 没後を通じ どの曲集 どの記録にも”Ave Maria”はないらしいし 曲調も明らかにバロックではないのに 疑うことなく受け入れてしまう心理というのも不思議ではあります。
確かに ブランドイメージって大事ですよ。商業的には ネーミングとかカラーリングとかパッケージデザインとか イメージ戦略が勝負を分ける重要なファクターですからね。
”東京ディズニィ・リゾート”だからいいんで ”浦安ディズニィ・リゾート”だったらどうですか。
ブランドイメージ 見た目や気分 さらには権威 先入観なんかに人々は弱いものです。「・・・氏監修」「・・・氏絶賛」「・・・王室御用達」「・・・コンテスト金賞受賞」「行列のできる・・・」「予約の取れない・・・」
ならば当然 産地偽装なんてことも考えるわけで。一流ホテルだって老舗料理屋だって 客を騙してすまし顔。食べさせられる方は誰も気づかない。
いじわるくとれば Vavilovは そんな聴衆の愚かさを熟知していたとも言えますかね。
◆と・・・ ここまで来て娘のタマラさんの話というのを見つけました◆
「”Vavilov”なんて些末な無名作家の独学作品じゃあ 決して出版してもらえないと父は分かっていました。でも父は どうしても作品を聴衆に届けたいと願っていたので 古典作家たちの栄光を無名作品に与えたんです」
やっぱりそうですか。
分かりますけど それだったらやっぱり身勝手ですね。ここまで来てしまえばカッチーニは傷つかないでしょうけど。タマラさん自身 そのような父の行為を肯定しているのか批判しているのか。
★というわけで
最近の学説?としては
「”カッチーニのアヴェマリア”の真の作曲者は ”Vavilov”」
との説が ほぼ決定事項となっているようです。
まあ 上のタマラさんの証言で 断定してもいいと思います。
さてどうでしょう。
もし最初から「カッチーニ」じゃなかったらどうだったんでしょう。誰の目にも留まらず 見過ごされてしまったんでしょうか。
人生の最後は 貧困の内に膵臓ガンで亡くなったそうですが はたしてこの”Vavilov” 姑息なトンデモ野郎だったのか。それとも純粋な音楽追及者だったのか。
★でも
この”VavilovのAve Maria”は いいメロディですよ。
カッチーニじゃなくても いい曲です。それでいいじゃないですか。
”東京”じゃなくても 浦安の”ディズニィ・リゾート”は楽しいわけですし。
古賀政男ではありません。
これが Vladimir Vavilovさん。
と・・・
この写真で終わるのもナンだなあ と
・・・
・・・
・・・
マリアのふたり
⇑
Keisha Castle-Hughes
“The Nativity Story”
2006
邦題「マリア」
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