男の子が二人。
二人とも
軍服らしきものを着て
突っ立っている。
しかし
ダボダボのズボンは
あきらかに大き過ぎるし
シャツの袖を
幾重にもたくし上げているのは
それが大人用だからだろう。
一人は軍靴
一人は地下足袋。
全身
汗と泥にまみれて。
尋問されているのだろうか 傍らの大きなアメリカ兵から何やら資料を提示され 無表情でそれに目を落とす二人。
幼い・・・。
まるで イタズラが発覚して先生から説教されている小学生のようにあどけない。
見るたび 喉と胸が締め付けられる。
(しかし逆に この二人 捕虜になったということは 命は助かったということでもある)
■「護郷隊」
1944年9月以降
すでに敗戦が見えていたはずの日本。しかしその沖縄では「護郷隊」なるものが組織された。
なんと
一四歳以上の少年を〝ゲリラ〟として使うという 驚くべきものだ。
その数約千名。
連合軍が迫り来る中 追い詰められた日本は「一億総特攻」を掲げ まず沖縄を〝皇土〟防衛の「捨て石」とすることを考えた。
つまり 連合国軍の本土上陸を少しでも遅らせるべく ‶本土ではない〟沖縄を「時間稼ぎ」に使うことを考えた。
しかしすでに兵器も弾薬も極度に不足。兵隊そのものも絶対的に不足する中、利用できるのが子どもだった。
まず「鉄血勤皇隊」が。
(同じく十四歳以上の約千八百名)
これは ‶正規軍〟として本隊の戦闘活動に従軍した。
これに加え「護郷隊」が。
〝ゲリラ専門〟に 〝秘密裡〟に組織されたのだ。
同じ中学生年齢だが
「鉄血勤王隊」は主に学校ぐるみで組織された一方
「護郷隊」の方は学籍を持たない 小学校を卒業したばかりの子どもたちだった。
(当時の沖縄では 必ずしもみんなが中学生になったわけではない)
「護郷隊」はゲリラ。
島をよく知り
すばしっこく
かつ子どもであれば敵を欺きやすい。
ゲリラ兵としてはうってつけだった。
それに何より
どれもこれもが 軍にとって好都合だっただろう。
表向き「志願」としていたが 実際は「脅し」と「書類偽造」による〝強制〟だったのだ。
「これから私の指揮に従ってもらう。今から出発する」
母親らが
「どこへ連れてゆくんですか」と問うても
「それは教えられない」と。
行き先さえも知らされなかった。
あるいは 校庭に集められ
「帰ってもよい。しかし帰ったら はがき一枚で呼び出して死刑にする」と。
「鉄血勤王隊」では 校長が隊長となり名簿を作成し 軍へ提出した。さらに印鑑の偽造さえもあった。
「護郷隊」とは
”軍人でなくとも「故郷」の村を「護る」” という意味であり そう教えられたもの。しかしその実 公には存在を隠したゲリラ部隊だった。
そしてまさにこのことが 戦後になって 「軍人ではなかった」という理由から ”国が遺族への補償を与えない”という問題を生じさせた。国というのはこのように身勝手で 残酷で 卑怯なものだ。
女子の学徒隊(「ひめゆり」「なごらん」ほか 多くの女学校で組織された看護部隊)も含め 沖縄では ほとんどすべての子どもが戦争に駆り出されることになった。
沖縄戦では 島民の実に4人に1人もの人々が亡くなっている。
しかし戦後70年以上経ても 特に護郷隊については知られて来なかった。
それは 存在自体が秘密だったこともあるが 何よりその生存者たち自身が 自らの記憶 思考 そして感情さえも封印してきたからだろう。
「恥ずかしながら帰って参りました」
”日本陸軍軍人のまま” 敗戦を知らず 28年間 ずっとジャングルで生きてきた。
「自らがキャタピラに轢かれて爆死する」という壮絶さだ。
しかも多くは戦車にたどり着く前に射殺されてしまう。
しかしこれも その重さゆえ遠くへは投げられず 逃げる前に爆発(爆死)してしまうことが多かった。
戦闘に遭遇すれば 真っ赤な弾丸が飛んで来る。
2001年 NYツインタワービルへ突っ込むイスラム過激派のハイジャック機の映像とは まったく同じに映る。
家族へ幾ばくかの金銭を残すために兵となる子も。
もし これを読む小中高生がいたら ぜひ考えてほしい。
戦争とは何か。
誰のためか。
戦争は 始まる時 そして始まってしまえば誰にも止められない。
権力は軽々と弱者を犠牲にし
狂気は一瞬にして理性を蹴散らすのだ。