神奈川・茅ヶ崎の児童養護施設=癒しのための巣づくり

デジタル・ミュージック

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20140912

茅ヶ崎ファームでは通常「Hymn Player」という讃美歌専用のデジタル再生機を使っています。ほとんどすべての讃美歌が収録されていて まあとても便利ではありす。

けれど いかんせん演奏があまりにも単調なんです。音色は「ピアノ」「オルガン」など選べますが デジタル音楽的にいうところの”ベタ打ち”で表情がない。

昔から 教会で賛美歌を歌うときは誰かがオルガンやピアノで伴奏するのが当たり前でした(バッハだって教会の雇われオルガニストだった!)。そして一般的に 伴奏ですからそこに”表情”は求められていないし ごく控えめに弾くのが普通です(バッハはもちろん歌伴していたわけではありませんが ”表情がない”どころか 「あの音何とかならんか」とお偉いさんに嫌がられたくらい そりゃもう派手に?弾きまくっていたそうな)。

けれど そもそも(ヨーロッパの)教会で賛美歌が歌わるようになったのは 牧師(司祭)の説教ばかりでは参集者が飽きてしまう(眠くなってしまう)からでしたし 字の読めない人たちにも歌ならわかりやすいからでした。ところどころに歌をいれることで場面転換 気分転換を図っていたんですね。

このサイト内の 〔ジューク・ボックス〕のペイジで紹介している曲を聞いていただくと 日本の一般的な賛美歌とはかなり趣を異にした曲調が多いと思います。それは上述のように(旧茅ヶ崎学園で)子どもたちに賛美歌を歌ってもらうとき 少しでも興が乗る(興味をもってもらえる)ようにと考えたことが始まりでした(ん~ しかし原作者には怒られるかもしれないな~ 無断改編だし)。

 

さて
あちらに掲載した一連の音楽はPCで自作しています。今は音楽をデジタル再生している教会も多いと思いますが 少し前まで アナログのSPやLPとまでは言わず デジタルのMDやCDが出回り始めたころでさえ そもそも音源が限られていました。レコード会社の持っている音源(”音楽家”の演奏)のみが販売されていたわけです。ですから伴奏としては使えなかったり 欲しい曲が手に入らなかったり。

昔は アマチュアが音楽すること自体が難しかった。ピアノにせよヴァイオリンにせよ まず楽器を持っているかどうか。習っている(いた)かどうか。そして更にその習熟には長大な時間と努力(とお金)が必要だった(それに家族の迷惑という大問題も!)。つまり敷居がとても高かったわけです。

それが今では デジタルのピアノ オルガン その他デジタル機器が手ごろにあり 再生用データも豊富 テンポも高低も自由自在。演奏者がいなくても音楽演奏に困らないのです。

さらに PC用の音楽制作ソフトも多数出回っていますね。かく申す私自身 そういうソフトを使用しているわけで 趣味と実益を兼ねて大いにその恩恵に浴しているのです。

デジタルミュージックシーケンサーなどと言われたそのようなソフトは もともとはプロ用に開発されていたのでしょうが 営業戦略上のついでに? アマチュアの楽しみをも一気に広げてくれたのです。
デスクトップミュージック(自宅のPCで音楽をつくること)は たとえ楽器がまったく弾けなくても 音符を丹念に入力しさえすれば音楽が再現できてしまう。防音の部屋もいらない。もちろんPCやソフトの知識 扱いというハードルも高いわけですが ピアノやヴァイオリンを長い年月かけて習得するのに比べれば呆気ないほど簡単です。

最早 アマチュアがプロ顔負けの(しかもたった一人でBig Bandや大オーケストラの)演奏を創りだせてしまう時代。その昔はレコーディングに欠かせなかったスタジオ・ミュージシャンやオーケストラは激減していますよね。J-Popやアイドルの曲 カラオケの伴奏音楽などなど たった一人でチョコチョコっとですから。

デジタル技術は我々の暮らしに多大な恩恵をもたらした。と言うより 飲み込まれておぼれてしまっているとも言えます。スマートフォンがなければ禁断症状で死んでしまう人が続出するかもしれませんよ。
宗教音楽に限って言っても ”手軽さ”を手に入れた代償に ”荘厳さ”とか”厳粛さ” 俗な言い方をすれば”ありがた味”を失うという大きな損失を蒙ってもいます。
”ありがた味”って実は重要で たとえばコンビニで売っているビーフストロガノフでも高級レストランで出されれば そりゃ”おいしい”んですよ。人は権威とか雰囲気とか先入観に弱いですからね。昔ならなかなか手に入らなかったレコードや楽譜も インターネットならクリック何回かで届いてしまいます。ありがた味はない。

デジタル音楽そのものに否定的な人もいます。「デジタルの音は薄い。アナログ(真空管!?)には厚みや温かみがある」と。確かに。けれど 所詮”録音再生技術”を聴いているのに違いはありません。要はどこを聴くのかという問題ではないでしょうか。

CGを駆使した大スペクタクル映像を見慣れてしまった我々観客は ちょっとやそっとでは驚けなくなってしまったという気の毒な状態もあります。
しかしこれもむしろ 驚けなくなってしまった我々はどこを観ればいいのかという我々自身の問題と捉えることもできます。
そう 単純に受け身でいることがむずかしい時代とも言えるかもしれませんね。大昔のパリ万博?で スクリーンを前に世界初のMovieを観せられた観客は モウモウと白い煙を吐きながらグングンこっちへ向かって突進してくる蒸気機関車に 思わず席を立って騒然となったと言います。

はてさて 幸せはどこにあるのか。

 

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