神奈川・茅ヶ崎の児童養護施設=癒しのための巣づくり

茅ヶ崎学園 今昔

茅ヶ崎学園 今昔

虚弱児施設「茅ヶ崎学園」から、

新生「茅ヶ崎ファーム」へ

 

2006年1月(建設中の様子)

【南方、海側からの俯瞰、写真下側が海】

パッと見て、中央に何とも言いようのないカタチ、芋虫のように? 赤ちゃんのソックスのように?見えるもの、
ここは「イクリージア」と呼ぶ建物で、ホール、セラピィ室ほかがあります。

その下の緑(松林)と茶色に見えているのが保育園の「園庭」。

その園庭の中の四角い水色は「学童保育」の建物。

園庭の上の濃いグレーは保育園の「園舎」。
(美しくないですねー。ここは将来屋上に緑をのせましょう)

その上の薄いグレーは「ヨセフハウス」職員寮です。
(これも将来、屋上は緑にしなければ)

その右横に「プール」があるんですが、松に隠れてよく見えていません。
(小さいけどプールがあるんです)

 

2006年1月(建設中の様子)

【北側からの俯瞰、写真上側が海】

右側道路に面して、扇型あるいはさかずき型に見える薄いグレーの屋根。
これは3棟に分かれていて、
左右をそれぞれ「イーストウィング」、「ウェストウィング」、
真ん中の小さな四角を「コモンハウス」と呼びます。

両ウィングが子どもの家。
イースト2階建て、4軒の家、
ウェスト3階建て、6軒の家、
コモンハウスは、親子で宿泊できる設備を持つほか、町内会、サークル活動など、地域にも開放します。

 
2008年6月

【北側からの俯瞰、写真上側が海】

上の写真(2006年)に比べると、屋上の緑がはっきり見て取れるでしょう。屋上フェンスにも、つる植物が少しずつ這い登っています。(と言っても実は雑草の方が多いんです。竣工時にはクローバーなどの種子を蒔いたものの、アッという間に雑草が逆転繁茂!芝生の育成でもそうですが、雑草との闘いですね)

 
 
1962年ごろ(創立当初の木造園舎)

【西側からの俯瞰、写真右側が海】

左下、ロの字型に見えるのがメインの建物。
中庭には小さな池があって、金魚が泳いでいました。
それをグルっと囲むように回廊があり、玄関、事務室、食堂、調理場、応接室、指導員宿舎などの連なりとなっていました。

その上、渡り廊下でつながったお風呂場と女子棟。
(左上、L字型に伸びている建物)
お風呂は薪で焚いていたんです! ですから指導員はしょっちゅう薪割りをしていました。

渡り廊下の右は、1階が図書室ほか。2階は畳敷きの大広間。

その右、縦に見えるのが男子棟。
「クマ」「タカ」2つの畳の部屋に、それぞれ十数人ずつ暮らしていました。
(女子学童は「ひまわり」とか?)

そのさらに右の小さな四角は、診療室と静養室。
看護婦さん(言い方が古いね)が常駐していて お医者さんの定期健診もありました。静養室では「ぜんそく」の子がよく寝ていました。まあ今から思い返すと 「村の診療所」とか「療養所」のような感じでしたね。

その下、長靴のようなL字型のものはプールです(おそらく完成したばかりの頃)。
真ん中にアイアン製の鶴の噴水があり、プール遊びのときは、そのくちばしから水がほとばしり出ていました。5月にはデッカイ鯉のぼりもね。

一番右の大きな建物は、母と子のための教育センター、および宿泊室など。
ここの2階には茶室があり、女の子たちがお茶を習っていました。
(2008年現在、この部分下半分が保育園園舎、右側松林が園庭となっています)


 
そうそう 写真左の部分を、職員、ボランティア、子どもたちで開墾して、小さなグラウンドを造ったんです。松を切り倒して切り株を掘り返すなんてことですね。手作業で。
また、よく海まで裸足で遊びに行ったものです。
服をびしょびしょにして帰って、保母さんに叱られたっけなー。