「この僕」
詞・曲】 改 : Y.A.
これには元歌があります。
あるドイツ人がある牧師に捧げた歌です。
ある日
手書きのピアノ譜に英語歌詞のついた楽譜をみせながら その牧師ご本人からこんなお話が。
「これを音楽にしてほしいんです。あなたにすべてお任せするので 好きなように作ってください」と。
なんでも その牧師さんのために知人のドイツ人が作詞作曲してくれたとのことでした。
ところが それをちょっと手をつけてみて困りました。
失礼ながら 正直 曲としてのまとまりがないんです。いろいろとフレーズをとりとめなく繋ぎ合わせたような なんとも落ち着かない曲だったのです。(曲を好きになれなければアレンジだってできませんからね。商売じゃないので)
それに何より 音程が広すぎて普通の人では歌えない。特に一般的日本人の音域は1オクターヴ少々と狭いですから。
また 歌詞が英語だったので私の方から
「英語なら先生の方がお得意じゃないですか」というと
「いや 歌の詞となるとまったく別だから」ということでした。
そこで
”元歌をそのまま音にしたもの”と
”私なりの改変を加えたもの”との2曲を作って差し上げたのです。
(ここに掲載したのは その後者の私家版の方)
私家版の方は 結果として90%くらいは変えることになってしまった。
まずメロディでは 元歌の”フレーズの断片”は残しました。
ただし 上半分(高音部)をバッサリ切り落とし 最低音も削ることにしたわけで そうなればそこをどうするか。
さらに 当然そのつながりで他のメロディも変えざるを得ない。
ハーモニィも変えた。
歌詞についても そもそも日本語では英語のように多くの言葉を入れられない(最近のポップスでは「~シアワセダトオモエルシュンカンガァ~」なんて 4拍に15文字ゴチャッと詰め込んだ歌もありますが)
輸入した讃美歌はみなそうですが 意訳にせよ むしろ言語的 文学的センスが問われることになりますね。
というわけで 何やかや 結局ほとんど別の曲のようになってしまったというわけです。
(「劇的ビフォアアフター」状態ッ!)
その牧師さんに曲を聴いてもらうにあたっては もちろん私の方から
「元の作曲者に許諾をとったほうがよいのではないですか」と言いましたが
「いいんですよ。もともと私がもらったもんなんだから」との返事でした。
こうして出来上がったのがこのヴァージョン。
ピアノ五重奏としています。
聴き終えた牧師先生 しみじみと
「いやぁ 贅沢なもんですねえ こんな音楽作っていただいて。これで安心して死ねますね」
(もう故人となってしまいました。安らかな眠りをお祈りいたします)