2007.11.01
プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(もしくはブーレ、もしくはガヴォット)、ジーグ。
J.S.バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲」の様式です。一番から六番まで全六曲。長調、短調、それぞれ趣を異にしながら、各曲共通してこのような様式(楽章)をもっています。
ところで、「チェロ?なにそれ」という人も多いでしょう。でも例えば一番のプレリュード。CMやBGMなどで時々流れているので、メロディだけなら、『あァ、これ聞いたことある』という程度には知られているかもしれません。
一般的知名度はともかく、この曲はクラシックの世界では知らぬ者のない、少なくともプロのチェロ奏者には必須の〝教養〟であり、ギター、サックスその他様々な楽器でも演奏される超有名曲なのです。
そして、ここが幸いというか絶妙というか、それ程の作品でありながら、アマチュアにとっても(たとえどんなにヘタクソであっても?)、かりそめにもチェロを弾こうという者、一度は挑戦してみたくなる曲でもあります(ギターで言えば「禁じられた遊び」、ピアノで言えば「エリーゼのために」…)。
というのもこの曲、〝ただ弾くだけ〟ならさほど高度なテクニックを必要としないからです(ただし一番から三番くらいまでは)。
『おっ、なんか弾けそう』
と思ってしまい、実際、弾けてしまうのです(オー、ナントアツカマシクモオコガマシイ!)。
実は、今でこそ音楽史に燦然と輝くこの不朽の名曲も、単なる練習曲として長い間埋もれた存在でした。世に認められるまでには、作曲後
なんと二百年もの歳月を要したのです。
光を当てたのはパブロ・カザルス。
後にチェロ界の巨匠となるカザルスがまだ音楽少年だった頃、町の古本屋で偶然これを見かけ、以来実に十年余の研究を重ねた末、世に発表、一躍人々の耳目を集めることとなりました。
それまで〝ただの練習曲〟とみなされていたものを、”渾身の芸術表現〟として練り上げたのですから、カザルスは偉かった。しかしもちろん、バッハはもっと偉い。
バッハが、自分の子どもたちや奥さんのためにいくつも〝練習曲〟を書いているのは本当です。ただ、後世の音楽家にとってそれらはあまりに素晴らしく、〝芸術〟として〝表現〟せずにはいられないというわけです。
そうなんです。バッハの数ある傑作の中には、荘厳な宗教音楽ばかりでなく、〝不眠症の殿様のための子守歌〟や〝コーヒーショップ用BGM(?)〟だってあるんです。
さらに言えば、「組曲」とは元来「舞曲」のことですが、この曲の場合、実用のダンス音楽ではなく、もしかすると〝実験音楽〟だったのかもしれません。
「一~三番は易しい」と言いましたが無論それは〝見かけ〟であり、音楽的仕組みを〝表現〟として紡ぎ出すには相当の理解と技量が必要ですし、五番では通常とは調弦を変えさせたり、六番では通常より一弦多いチェロ(チェロではなく、ヴィオラ・ポンポーザというバッハ考案の楽器だという説がある)を使わせたりと、むしろ器楽的な可能性を追求している作品でもあります(この点では、ヴァイオリンのための無伴奏曲集「ソナタとパルティータ」の方も、同じく技巧的、音楽的に究極のものを感じます)。
いずれにせよ、
一見単純そうでありながらも深遠、
様々な要素を盛り込みながらも芸術的完成度は高い。
そこがバッハの偉大なところです。
さて他面、この曲は弾くにあたっての謎に満ちてもいます。
弦楽器の場合、音楽表現には弓の使い方がとても重要であり、それを作曲家は普通、スラーという記号をもって指示します。
ところが、この曲にはバッハの自筆譜がありません。あるのは奥さんや弟子などの写譜が四種類。
これがそもそも議論の元で、写譜と言ってもすべて後になって書かれたものであり、中で最も信頼に足ると言われているのは奥さんのアンナ・マグダレーナのものですが、見た目に美しいその譜面(昔はその見事さゆえバッハの自筆譜だと思われていた)も、スラーはごく簡単なものだったり(当時の習慣で省略されているとも)、不規則、不自然だったりします。
そればかりか、四種類の楽譜には「音」そのものが違っている個所さえあるという困った状態なのです。元歌手だったとはいえ秘書ではなかった奥さんや、音楽家のくせに信用できない弟子。
やれやれ、おかげで後世のみんなは大いに悩みます。
それぞれ違っている音符のどれを採用する、アクセントをどうする、どこで弓を返す、どの音を響かせどの音を止める、などなど技術的側面のみならず、音楽性の解釈、時代様式や楽器そのものの考証、言語、風習、文化に至るまで、学者、評論家、チェリスト、それぞれがそれぞれの立場で、音楽的希求や知的好奇心から、今なお探求しつづけているのです。
「無伴奏チェロ組曲」
楽器の中でもとりわけ地味な存在である「チェロ」
演奏スタイルの中でもことさら聴き映えのしない「無伴奏」
さてあなた、
最後までこの文を読んで、もし興味をもってくれたなら、一度は聴いてみてください。
《キミは何分間耐えられるか!》