20140916
”アレンジ”を語る
~原曲の尊厳と演奏の自由~
このサイト内 「ジューク・ボックス」では 茅ヶ崎ファームで普段歌っている賛美歌を紹介しています。そしてこれらは私が自宅のPCで自分好みにアレンジしたものでです(一部オリジナル曲も)。
ところで
アレンジは これ無断でやっていますが 著作権上問題はあるのでしょうか。営利が目的でもないし おそらく茅ヶ崎ファームの礼拝の中で使っている分には構わないのでしょうが 今回YouTubeに載せているので問題ないのかなと。それに 原作者にとって意にそぐわない編曲だと ”許せない”という問題もあるかもしれませんね。どうなんでしょう。
賛美歌に限って言うと 私は公共物だと思っています。誰がどこでどう歌おうが自由なのではないかと。
教会でも学校でも 幼稚園 保育園でも 弾き易いように変えていたり ギター伴奏であったりもするでしょうしね。
元々賛美歌は 各地の古い民謡だったり既存のスタンダード曲の借用だったり それこそ素性はさまざまです。”替え歌”と言ってもいい。
ですから歌い継がれるうち メロディが少しずつ変わったり伴奏もその時々自由につけていたりしたはずです。
出版されている賛美歌集をきちんと見れば 権利とか使用についてどこかに書かれているのかもしれませんが見ていません。
ただまあ少し気になるのは現代?の讃美歌です。
「こどもさんびか」とか「友よ歌おう」などからも数曲ピックアップしているので これは新しいだけに 原作者の意というものも明確にあるだろうなと。『私の曲はこんなんじゃない!』とお怒りかもしれませんし 本来ならせめて許可をとるくらいすべきかもしれませんね。どうなんでしょうか。
さて
ベートーヴェンは 演奏についての指示を譜面に細々と書き ”その通り”演奏させたそうです。
命を削り精根込めて 細部にわたり緻密に創り上げた音楽ですから そう勝手にいじられたんじゃたまらない(その気持ちもトッテモ分かるなあ)。作曲者の尊厳もオリジナリティもむろん最も尊重されるべき。しかし じゃあ演奏者は奴隷なんでしょうか(ベートーヴェンは実際そう思っていたらしい)。
例えばJazzはどうですか。
Jazzはアドリブこそが真髄ですよね。原曲なんて誰も気にもしないし知りもしない。しかも Jazzにも一応アレンジがありメンバーには譜面が渡されることもあります。しかしいざ演奏となれば それぞれが自由にアドリブするわけで。
面白いことに バッハやモーツァルトの時代 演奏に際して奏者の自由に任せることも一般的でした。例えば伴奏部は和音の記号だけが示されていて(今でいうコードネームだけ記されたメロディ譜) その度に あるいは奏者によって違う弾き方をしていた。
そう 知ってましたか?
実はバッハもモーツァルトもアドリブの天才だったってこと!
当時の音楽家はみんな王侯遺族のお抱えでしたから 御前でアドリブ合戦なんかもやらされていたそうです。もちろん バッハもモーツァルトも常に圧勝していたはずです。
音楽家として相手を圧倒してやろうとする芸術的闘争心もあったでしょうし さらにはパトロンに対する点数稼ぎ 技量を見せびらかそうという野心ももあったでしょうね(こんな書き方をするとゲスの勘繰りと思われそうですが バッハは”給料の高い勤め口”がどこかないか依頼する手紙を 知人あてに何度も出しているんです)
いずれにせよ アドリブでは自由自在に いつまででも弾きまくっていたらしいので その辺はJazzのジャム・セッションと似てもいます。
じゃあ 現代クラシック音楽界の「楽譜に忠実」主義って何?